
産地で、若手の作品が一同に見られる機会
秋元:2019年から2023年までの5年間にわたり、毎年「KUTANism」を開催してまいりました。その総括といいますか、「KUTANismをやってみてどうだったか」皆さんにご意見をいただき、その上で「これからの九谷焼の未来」について考えていければ良いなと思っています。
それではまず中矢さんから。中矢さんは初年度からKUTANismに関わっていただいていますが振り返ってみていかがでしょうか?

中矢:はい。私は「美術館」という立場におりますので、やはり「実物をみていただく」ことを大事に考えてきました。
5年間のKUTANismの中でも、様々な形で展示を行いました。例えば浅蔵五十吉記念館を会場とした展示も、普段の「美術館」とはまた違った雰囲気の中で若手の最新作を並べ、とても反響をいただきましたね。


中矢:九谷焼業界でも若手作家の“公募展離れ”が進む中で、これだけ一同に若手の作品が並ぶという機会は、今なかなかないんですね。普段目にすることができない作家の作品も含めて、あれだけまとまった点数が一度に見られる場をつくれたことは非常に良かったと思っています。

秋元:確かに、地元であれだけ一同に並ぶ機会は貴重でしたよね。展覧会を続けてきた中で、方向性の変化はありましたか?例えば、5年間には新型コロナウイルスの感染拡大もありましたよね。
中矢:そうですね。感染拡大が起きた当初は、美術館に限らず公共施設は入場できないという制限もありましたから、KUTANismとしても“架空の美術館”をテーマとして、オンライン上で作品を展示・発信しました。この試みも好評でしたね、「次は是非実物を見てみたい」というお声もいただいて。

秋元:そういう意味でも面白い試みだったと思います。では𠮷田さんはいかがでしょう?

“年齢”や“立場”を超えた交流の場
𠮷田:KUTANismは、九谷業界の中でも様々な立場の方々が参画しているので、それぞれ視点が違う中、私自身学ぶことも多かったですね。
その中で、自分の“幅”が広がるような面白い出会いもあって。特に上出惠悟くんとはKUTANismを通じて仲良くなり、その後も個人的に展覧会を一緒に開催させてもらいました。上出くんは僕より20歳くらい年下なんですけれど、年齢や立場を越えて「作品」や「生き方」を通じて交流し合えたというか、それがよかったですね。これはKUTANismに「参加した人間」として感じた面白さですが、こういった出会いが産地の活性化につながるのではないかという実感もありました。
上出:僕も幸央さんに仲良くしていただけたのは嬉しかったです。産地内でも製造している人は特に、普段は工場に籠りきりだと思うので、すぐ近くに活躍する先輩がいてくれるのはありがたいことですし、震災の際にも心強く感じました。同時に、同じような交流がもっと他の作家さん同士や、もしくは“中”だけではなくて、KUTANismを観に来てくれたお客さんや九谷焼好きの方など “外” と交流する機会を、もっと考えられたらよかったなとは振り返って思いますね。

秋元:確かに、“産地”でイベントを開く意義は、やはり「作家の顔が見える」とか「つくり手との近さ」というところにもありますからね。もう少し来場者やお互いの距離感を縮めるようなアプローチができればよかったかもしれません。ではお次は武腰さん、いかがでしょう?

武腰:そうですね。新型コロナなどの難局を経ながらもKUTANismとして少しずつ積み上げてきたものがあり、徐々に盛り上がってきたところで「一旦活動に終止符を打つ」ということは、非常に勿体ないなと感じています。
私個人としても実行委員になったのは2023年からということもあり、こういったかしこまった場ではなく、飲みの席で無礼講が始まってから本調子が出るタイプなので、それも披露できぬまま終わってしまうのも寂しいです(笑)。
秋元:おっしゃる通り、こういったイベントは「継続していく」ということも一つ重要なところだと思うので、形は変わっても引き継いでいけたらいいですよね。そこは是非改めて両市の皆さんにご検討いただけたら…(笑)。

「産地」として、九谷焼の魅力を伝える
秋元:ここでちょっと視点を変えて、「組合」のみなさんからのご意見も伺ってみましょう。それでは窯元組合(石川九谷窯元工業協同組合)としてご参加いただいている三田さん、いかがでしょう?
三田:はい。私は実行委員として2021年から参加しており、2022年のKUTANismで開催した「クタニの道具展」で、道具の提供などで関わらせていただきましたね。その時に、それぞれの道具の使い方などをお伝えしました。


秋元:皆さんが所属されているような「組合」にとって、KUTANismはどういうものだったのか、ぜひご意見うかがいたいです。
三田:どうでしょう。ひと口に「組合」といっても、いろんな考え方の人が集った寄り合いですからね。
岩田:私たち「商工業組合(石川県陶磁器商工業組合)」としては2023年には「『九谷焼と暮らす』展」の中で、展覧会への作品提供をさせていただきました。こういった連携ができたのは良かったですし、KUTANismは“つくり手”にスポットを当てた事業だと思っていたのですが、もっと早い段階から組合としても関われていたらよかったなという思いもありますね。あとは、私達は“商人”の組合なので、「販売」の機会がもう少しあってもよかったかもしれないなと。


秋元:そうですね。アートも産業だといわれてきている中で、「どういう風に売っていくか」ということまで、もう少しコミットできてもよかったかもしれません。
同時に、KUTANismの目的は、「美術館で九谷焼の展示をする」ということだけではなくて、「産地の魅力を発信して、九谷焼に興味を持っていただく」ということにあったと思います。九谷焼の魅力が伝われば、自ずと「購入」にもつながっていくと思います。実際に、KUTANismの展示や発信を見た方で、作品を購入してくださった方もいらっしゃいますからね。
違いがある中でも、根底に通ずる“九谷焼への愛”
秋元:ではお次は「お客さんとの繋ぎ手」という視点で、お二人にお話を伺っていきたいと思います。まずは塚林さんいかがでしょう?
塚林:はい。私はPRの立場から、KUTANismの初年度から関わっています。九谷焼について学ぶうちに、業界の中にもいろんな組合があって、それぞれの立場や考えがあることもよくわかってきました。加えて、自治体や作家さん個人の想いもそれぞれにある。このように様々な“違い”がある中で、KUTANismとしてどうまとまっていくのがいいか、一時迷ったこともあったんです。
けれど、直接お話をうかがいにいくと皆さん本当に快く協力してくださって、それぞれの中に「九谷焼への愛」を共通して感じたんですね。かくいう私も、この地に生まれた者として、九谷焼のカルチャーを伝えていきたいという想いがあります。様々な違いがある中でも、根底にある九谷焼への愛に気づけたことが、すごく嬉しかったです。

“トライアンドエラーの財産”から考える、次の一手
中子:私はここにいらっしゃる皆さんとはちょっと立場が違って、九谷焼関係者でもなければ石川県出身でもない、完全なる“部外者”です。なので、九谷焼について「ゼロ」の状態からKUTANismに関わり、九谷焼の歴史について学んだり作家さんとお話させていただいたりー‥私個人としてはもう“プラス”しかなかったですね。
特に「産地」というものの捉え方が変わりました。それまでは「産地=工芸品をつくっている場所」というくらいのイメージしかなかったんですが、物凄く“多層的な積み上げ”がそこにはあるのだと気がついて。しかもそれは、無数の様々な立場の人たちが、長い時間をかけて積み上げてきた“分厚い層”。「ここじゃうまくいかないから、別の場所でやろう」なんて簡単には移植できるようなものではなく、もはや「土地に突き刺さっているもの」なんだなと。

中子:そして「KUTANism」として、毎年切り口や手法を変えて試行錯誤しながら展開する中で “トライアンドエラー”を繰り返し、様々なやり方を“試せた”ということも、この5年間の財産だと思っています。それを踏まえた上で、これからどう付加価値に繋げていくか。この5年間の成果の中から何を摘み取って、次のアプローチに繋げていくか。それぞれが考えていかないといけないと思っています。

縦割りを繋ぐ“横軸”として
KUTANismというプラットフォーム
秋元:そもそも「2つの市が一緒に開催した」ということも、画期的な試みだったと思うんですよ。もちろん市によって考え方やスタンスも違うので、擦り合わせていくのはなかなか大変だったりするんですけれど。しかし九谷焼ってもともとは行政的な境をこえて広がっているものなので、その目線から考えてくのは大事なことだと思うんですよね。だからこそ、2市で共同開催してきた KUTANismが終わってしまうのがもったいないなと。

𠮷田:僕もそう感じています。「KUTANism」が終わってしまうなら、その名前だけでも貸していただいて、引き継いでいけないかと思っているくらいです。
産地というのは体系として、縦軸というか“ピラミッド型”になっていく傾向がどうしてもあると思うんです。そこに横軸としての「KUTANism」がプラットフォームの役割を果たして、予期せぬ様々なことが起こる「場」になればいいなと、終わりを迎える今の気持ちとしては思っていますね。
上出:“産地が抱える問題”って、顕在化してないものも含めてかなりあると思うのですよね。たとえ解決まではいかなかったとしても、そういった課題を並べる“平場”があるといいし、そういった役割もKUTANismが担っていけたらよかったのでしょうね。

「九谷焼」を問い続ける“イズム”
秋元:ありがとうございます。皆さんに一言ずつKUTANismのふりかえりをいただいたところで、ここからは「今後の九谷焼」について考えていけたらと思っています。
中子:KUTANismには“産地としてのブランディング”を模索する目的もありました。明確に統一された様式や定義がないからこそ、九谷焼ってどういうものを指すのかよくわからないというお声が多いからです。それぞれの立場があるにしても、方向性として共有されているものがあった方がいいのではないかと。
秋元:そうですね、一言でいうなら「物凄く多様な表現力を持っている色絵磁器」ということだと思いますよ。ただ、九谷焼において、定義を定めて外側から囲い込むようなことってほとんど意味がないと僕は思っているんですよ。

秋元:もちろん美術館の立場の人間としては、アカデミックな視点で整理して、言語化しなければいけない局面はもちろんあります。けれど実際に現場で走らせている時に“定義”で固める必要なんてないし、むしろしないほうがいいと思っています。その方が絶対面白いことが起こるから。ですから「九谷焼をどう捉えるか」は、各作家が決めればいいことだと思うんですよね。
“多様な表現力を持った色絵磁器”を最大公約数とした上で、様々なバリエーションがあるのが九谷焼の魅力だと思います。今現在だって、これまでの九谷焼では考えられなかったような作風が次々と生まれ続けているわけでしょう。
上出:僕も「九谷焼って何なの」ということをよく聞かれるんです。そういう意味ではKUTANismとして歴史を紐解き、展覧会を開催する中で「九谷焼の多様性」というものはある程度表現できたのかなとは思っています。

上出:その上で、僕自身「KUTANism」に関わる中で「九谷焼における“イズム”って何だろう」と、この5年間ずっと考えてきたんですね。それって多分僕だけじゃなく、皆それぞれが「九谷焼とは何か」を考えながら仕事をしているのだと思うんです。それこそが、多様な表現の中でも“一本通ったもの”というか、“九谷焼のイズム=KUTANism”ってことなんじゃないかなと。そういう意味でもいいネーミングだったなぁと思っています。
“雑食性”のおもしろさ、窯業地としての“迫力”
武腰:多様性ということで思い出したんですが、以前京焼の先生に「“京焼”にもいろんな表現があると思いますが、一言でいうとなんですか」って尋ねたことがあったんです。そしたら「“お好み焼き”や」とおしゃって(笑)。

秋元:なるほど(笑)。確かに京焼にも、ちょっと九谷焼と似た広がりはあるかもしれないですね。とはいえ、やはり「土地柄」って必然と焼物に表れますよね。九谷焼にはもうちょっと「雑食」的な力強さを感じるというか、そこが面白いなと。それはやっぱり九谷焼の「窯業地」としての迫力だと思うんです。そういう意味でも「生産力」を落とさない方が絶対にいいと思うんですよ。それってすごく大事な要素だなと。

秋元:個人作家達が華々しい活躍をする中で、今再び「産地」というものに注目が集まっていますよね。九谷焼としても産地として、窯業地として、どう魅力的な場であり続けるかというのは一つ大きなポイントになってくると感じています。
九谷焼は、今こそ“正念場”にある
𠮷田:若いつくり手にも、九谷焼は人気ですよね。九谷焼技術研修所を見ていても、毎年「定員割れ」がないし、個人的にも「九谷焼を学びたい」といっている人をかなりの数知っています。それだけ全国の中でも九谷焼が目立っているということは、間違いないと思うんです。
だからこそ“今が正念場”というか、ここを上手く舵取りできるかどうか、それ次第では若い人が他産地に流れていく可能性だってあるわけなので、どんどん作り手を受け入れる仕組みづくりに変えていかないといけないですよね。

秋元:そうですよね。今全国誌で工芸特集が組まれたら、必ず九谷焼の作家がそこに入っています。個人の作家の名前の出方は相当に凄くて、全国どころか海外まで届いていますからね。それぐらい九谷焼が工芸界をリードしているということを、産地の人も行政の人ももっとポジティブに認識した方が良いと思います。
“個人の突破力”を、どう“産地全体の財産”にしていくか?
岩田:組合としては「商品」としての九谷焼を作っているわけですが、僕たちも今は作家さんたちがどんどん活躍されていることが、何よりも九谷焼のPRにつながると感じています。
秋元:そうなんですよね。そこで次に考えないといけないのが、その「個人の突破力」を、どう「九谷焼全体の財産」にしていくかということだと思うんです。そういう仕組みを今こそ考えていかないといけない。

武腰:そうなるともう「一つの会社組織」にするぐらいのことがないと難しいのではないでしょうか?九谷焼業界って、いわば個人事業主の集合体みたいなものですからね。制作部門も販売部門も“一つの財布”で生活するくらいのことにならないと、足並みを揃えるのは並大抵のことではありません。
秋元:夢物語みたいな話に聞こえるかもしれないけれど、ビジネスとして考えても可能性があると思うんですよね。
例えば作家が制作する「高価格帯」のものと、値段を抑えた「普及版」みたいなものがあるとして、後者においては組合で請け負って量産するということもありえるかもしれません。つまり、個人作家がキャパシティ的に対応できなくて、ほったらかしになっているマーケットを産地としてカバーするようなことはできないだろうかと。これはおそらくどこの産地でもまだやっていないことだと思うんです。

秋元:これはあくまで一例ですが、つまり「どうレイヤーを揃えれば、確実にお客さんに届くか」ということなんです。現代アートがなぜあれだけ高額で売れるのかというと、そのマーケットがちゃんと整っているからなんです。逆にいうと、その違いだけだと僕は思っているんです。
今世界的に「工芸」です。私もずっとアートの世界を見ていますが、現代アートも含めて今みんな「工芸」に向かっています。あと数年でこのトレンドが出来上がってしまう予感がある中で、その時に九谷焼がそこに“乗っかっているかどうか”。そういう意味でもまさに今が正念場なので、KUTANismの成果も反省も、全て今後に生かしていっていただきたいと思いますね。
