
原始的な「スタンパー」と、工業的な「トロンミル」
秋元:今の時代は粘土づくりもこんな大きな工場で、かなり機械化されてるんですね。
谷口:はい。たしかに「粘土屋」というと、 “手で土を練って…” といったイメージを今でも持ってらっしゃる方が多いんですけどね(笑)。
秋元:機械化しないと、産業に対して追いつかないですもんね。
今日は九谷焼の「粘土づくり」について教えていただけたらと、よろしくお願いします。“土もの”である陶器はともかく、“石もの”と呼ばれる磁器土の製造って、ちょっと想像がつかないところがあります。どんな工程でうまれるのでしょうか。
谷口:まず作り方としては大きく2種類あります。一つは、スタンパーという杵のような機械を使って陶石を粉砕し、それを水簸(すいひ※)という方法で粘土質になる部分だけ取り出す、割と原始的な製法です。この作業は隣の「CERABO KUTANI」内の弊社施設で行なっています。
(※)水簸…粉砕した石粉を水でかき混ぜ、粒が大きく沈んだものを取り除き、微粒子からなる泥状の粘土を取り出す方法。

谷口:そしてもう一つはトロンミルという、いわばミキサーのような装置の中に水と材料を入れて擦ってしまう方法。必要な材料を計算して加えられるので、こちらの方が調合には向いていますね。こちらの工場では主にトロンミルでの製土を行なっています。

谷口:スタンパーでつくる粘土はろくろ向きで、トロンミルでつくる粘土は鋳込みやタタラ成形(※)に向いています。
(※)タタラ成形…板状の粘土を貼り合わせて形をつくっていく成形法。
秋元:それは、できあがった粘土の性質の違いでしょうか。
谷口:そうですね、大きな違いとしては“粘土質の量”の違いです。スタンパーでつくる方法は、水簸して粘土になる部分だけを取り出しているので「非可塑性原料(※)」といわれる長石や珪石を取り除いているんですね。だから出来上がった粘土には粘りがあって可塑性の高い粘土になります。つまり挽きやすいので、ろくろに向くんです。 対してトロンミルでは、長石や珪石なども含んだ状態で擦っているので、スタンパーでつくる粘土に比べて粘りやコシは少し弱くなる。その代わりに、型離れが良いので鋳込みなどには向いています。
(※)非可塑性原料…可塑性がない反面、乾燥や焼成時にあまり収縮を起こさない原料。

「工業製品」 と「ハンドメイド」
どちらにも寄り切らないおもしろさ。
秋元:なるほど。それぞれに適性があるわけですね。焼き上がった磁器の色などにも違いはでるのでしょうか?
谷口:厳密に比べれば若干違いますが、見た目ではほとんど変わりません。どちらかというと挽きやすさやコシがあるか、といった制作工程で感じる差ですね。
秋元:このトロンミルでつくる製造方法の方が、後からできたものなんですよね?
谷口:そうです。製造方法は産地ごとの石の特徴によるところもありますが、九谷では従来の製法がスタンパーです。九州もスタンパーで粘土をつくっているところは多いですね。対して瀬戸や多治見といった量産型の産地ですとトロンミルが中心です。
この工場も、祖父が始めたときはスタンパーだけだったんですが、スタンパーは陶石を砕くのに時間がかかるので、早く大量に処理するのには向いていません。モノがよく売れる時代になって、生産性を考え父の代でトロンミルも導入しました。他の粘土屋さんはずっとスタンパー中心にやっていらっしゃったんですけど、みなさん廃業されてしまって。今残っているのはうちとあともう1軒だけです。

秋元:量産化していくプロセスで生まれた技術がトロンミルなんですね。スタンパーであれば捨てられている材料も、効率よく使いながら生産性も上げて…まぁその方が合理的ですよね。
谷口:機械化といっても一つひとつの作業はとてもアナログなんですけどね。粘土質の材料と、石の材料では擦り上がる時間が違うので、別々にトロンミルを回して最終的に地下タンクで合わせています。その後に、電気磁石で除鉄して、ふるいを通して粒粉調整をし、最終的にフィルタープレスで絞って脱水します。
秋元:確かに、それぞれの作業自体は意外と素朴ですね。なんというか、“工業製品”と“陶芸的なもの”のどちらにも寄り切らないというか、中間にある感じがおもしろいなぁ。



「粘土」は圧倒的な“自然物”
谷口:今お話したように、粘土の作り方は大きく分けて2つあるわけですが、あとは同じ鋳込み用の粘土の中でも、花瓶を鋳込むような粘土と、複雑な形をつくる置物用の粘土では少しブレンドを変えてつくり分けています。現在うちでは全部で8種類の粘土をつくっています。
秋元:結構種類があるんですね。やっぱりつくるものによって個別に配合を変えながら?
谷口:そうです。花坂陶石だけだと粘りがありすぎて鋳込みなどには向かないですし、バリエーションも出せないので、蛙目(がいろめ)粘土や、木節(きぶし)粘土など、他産地からの材料も合わせて調合します。
秋元:そういう割合というのは、もう初めの頃に先人が苦労して編み出してきたものがあるわけですよね。途中で大きく配合を変えたりすることはあるんですか?

谷口:はい、うちにも門外不出の「調合表」があります。基本的には祖父や父が何度も試験してつくってきたものです。その配合を変えるのは、仕入先の鉱山が閉まったときですかね。
秋元:やはり材料が変わる時ですか。
谷口:例えば同じ「珪石」を仕入れたとしても、その化学組成の値が微妙に違うんです。そうすると、焼き上がりの色に影響がでてきます。いつもの仕入先の鉱山が閉まったときは、それに代わる材料を探すのですが、全国どこも閉山していく中で同じような材料を探すのは一苦労で。
秋元:あたりまえですけど粘土って、やっぱり“土”なんだなぁ…。僕らが「原材料」と聞くときに、どこか化学式化してデジタルに考えてしまいがちですが、 “陶石”や“陶土”といった圧倒的な有機物からできているんだということを改めて感じますね。自然のものに対して、こちら側でのきめ細やかな調整が必要というか。

産業ありきの「粘土屋」の仕事
秋元:近年は九谷焼としても産業規模は小さくなってきていますよね。製土所として難しさのようなものはありますか?
谷口:“量を仕入れる”ということは必要なくなってきていますね。けれど鉱山側からすれば、たくさん買ってもらわないと採算が合わない。だから鉱山を閉めて大型ショッピングモールに土地を貸し出すー‥といったことが全国で起きているのですが。そうなると僕らとしても仕入れが難しくなるので…バランスが難しいところです。
秋元:材料の価格も上がってきていますか?
谷口:上がっていますね。去年と今年を比べただけでも、4割近く値上がりしている材料もあります。例えばある産地ではもう蛙目粘土をとる鉱山がなくて、新しい鉱山を開発するのには相当のお金がかかるので、それが材料の価格にのってくる。うちも粘土の価格を少しずつ上げざるをえない状況になってきています。

秋元:窯元が減っていく一方で、作家は増えていますよね?でも作家が消費する粘土量にも限りがありますから、また次の課題がでてきそうですよね。
谷口:うちみたいな粘土屋も、いってみれば“産業ありき”の仕事なんですよね。作家さんに粘土を提供できるのも、「産業がきちんと回っているからこそ」といえる面はあると思います。
けれど同時に、ものづくりの現場では少量・中量生産が主流になっています。今後はトロンミルでつくる大量生産用の粘土というよりは、スタンパーで“昔ながらの製法”でつくった粘土の方がストーリー的にも求められてくる。そうなれば僕らとしても、生産性は悪くてもスタンパーでの製法に注力せざるを得ない。 産業自体があまり粘土をつかわない方向に向かっている中で、どうこの状況を突破していくのか。僕らも考えなくてはいけないんです。
秋元:確かにある程度の産業規模を維持しながら、、どうやって事業として継続性ある形にもっていくか、ということはここ数年のうちに突破口を開いていかないと、きっと段々厳しくなっていきますよね。
職人の「技術力」と、「分業制」のこれから
秋元:ご自身でも「HANASAKA」という独自ブランドを立ち上げていらっしゃいますが、それは先ほどおっしゃったような危機感からですか?

谷口:オリジナルブランドを立ち上げた理由はいくつかあるんですが、ひとつは「谷口製土所」という名前を全国に知ってもらうツールを、自分たちで何か持てないかということ。通常、分業工程のひとつである「いち粘土屋」の名前が表に出ることはあまりないですから。
もうひとつは窯元の職人の技術にもっとフォーカスできないかということ。九谷焼というと、やはり“絵”に目がいくと思うんですが、上絵をつける前の素地をつくる職人の技術力もすごく高いんですよね。だから「HANASAKA」では窯元と一緒に、土や素地自体の魅力を生かした製品づくりをしています。
秋元:なるほど。“九谷焼といえば上絵付け”というイメージがあるけれど、分業工程のどこに目をつけるかで、また違った可能性が見えてきますよね。

谷口:あとは新しい顧客層の開拓ですね。上絵付けがなされた「色絵磁器」としての、従来の九谷焼が好きな人はそれで良いのですが、そうじゃない人達にも九谷焼をアプローチしていきたいなと。
秋元:かつての“産地と工芸”みたいなものに良いイメージを持って、工芸品を買い支えしていた世代の人もどんどん高齢化してますもんね。ある意味世代交代というか、若い層に向けてというのは大切ですよね。
ちなみに谷口さんご自身は、家業を継ぐことへの葛藤みたいなものはなかったんですか?
谷口:僕はもともと継ぐつもりはなかったんです(笑)。だから大学を卒業してからは、10年くらい広告出版系の企業で働いていました。でもある年の正月に帰省したときに「粘土屋だからって、粘土だけやらんなんことはないよ」と父に言われて。自分としても色々なことにチャレンジしてみたかったので、じゃあ家業でそれをやってみようかなと。

九谷焼の“生存戦略”
秋元:九谷業界を継ぐ同世代というのは?
谷口:少ないですね。今はなんとか保っていますが「跡継ぎがいない」という窯が結構あるので、今後ガクッと減ることはあると思います。高齢で一人でされているところも多いですから。ただ、そこが無くなってしまうと “失われてしまう技術”というものがある。タタラを専業にしている窯元や、ろくろや鋳込みを専門にされている職人など、人材の育成はかなり急務ですね。
秋元:九谷焼は分業化が進んでいるからこそ、次々に歯抜けになってしまうと問題ですよね。
谷口:単純に「職人になりませんか?」と今いっても、なかなか難しいと思うんです。何か“職人の在り方”そのものを見直すような働きをしていかないといけないし、雇用が生まれるものづくりというか、企業としての魅力アップはどこも必要だと思っています。もう産地だけで職人さんを補うのはどう考えても難しいので、外から「あの企業で働きたい/九谷の産地で働きたい」という風にもっていかないと。

秋元:確かに、今までは九谷焼がひとつの大きな産業としてあったから分業化できているけれど、これからは仮にどこかが崩れても自分たちだけでもやっていけるような体制を、それぞれがサバイバルしなきゃいけない時代になっていくんでしょうね。
谷口:それぞれが自立した立ち位置を持つというのは、大切だと僕も思います。その上で、それぞれが集まって分業をしてもいいわけですし。
九谷焼を再点検する“平場”をつくる
秋元:自分たちで製品開発してブランディングしていくのも一つの形だけど、今度はそのブランド志向や高級志向の中で埋没する可能性が出てきたり、「次の壁」があるから難しいですよね。その一方で、腕の良い年配の職人達には仕事がない、といった状況がどの産地でも起きている。
谷口:そうですよね。みんなが自分のモノを作り始めると、今まで下請けだった人の仕事がなくなるわけですから。
秋元:一口に“ものづくり”といっても、様々なレベルやレイヤーがありますよね。例えばアパレル業界でいえば、ハイブランドもあれば、安価なメーカーもある。単純に「高いから良い/安いから悪い」というわけでもなくて、それぞれが相応のクオリティを保ってやっていますよね。そういった多様性の中でどう生き残るかという戦略は九谷焼にも必要なのかもしれない。

谷口:確かに、今までは量産したものも、手づくりのものも同じ売り場で「買ってください」とやっていたところがあるので、そこを考えていかないといけない。従来のやり方を一から再構築するくらいのことを、今やらないといけないのかもしれません。
例えば僕らの方でも、オープンファクトリーのように一般の方に工場や窯元を開いて、ブランドと現場を上手く絡ませていけないかということを考えていて。「九谷焼を買ってください」というより、まず「工芸品のようなもの」を使う人を、これから増やしていきたいなと。
秋元:面白いですね。外側から「ブランディング」をする前に、一旦“平場”をつくるというか。そこで関係性をつくっていって、それぞれの好みの中で自然に立ち上がってくるもの、というのも良いですよね。
一回ゼロベースで並べて、改めて一つずつ丁寧に点検してみるような作業が、今重要なのかもしれません。
(取材:2020年8月)
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【PROFILE】秋元雄史/東京藝術大学名誉教授、金沢21世紀美術館特任館長、国立台南芸術大学栄誉教授、美術評論家。「KUTANism」総合監修。
取材:秋元雄史
執筆:柳田和佳奈
撮影:広村浩一
企画・編集:ノエチカ