「置物の八幡」の素地づくり


秋元:何も絵がついてなかったり、逆に“ちょん”と少しだけ色がついていたり。こうして見ると、白磁のままもまた良いものですね。“形”の良さがよくわかります。
この布袋さんなんて、すごく良い顔してるなぁ。やはり置物のモチーフとしては縁起物が多いんですか。
宮本:そうですね。観音様にはじまり、獅子や七福神、高砂にフクロウ、そして招き猫ー‥といった具合に、縁起物も時代とともにシフトしています。あとは干支ものですとか。このショールームには昔の型ものばかり並べているので、今ではほとんど流通してないものですね。
秋元:ああ、昔の型なんですね。それにしてもディテールの再現が凄いなぁ。


宮本:これが今ある中で一番古い型で、曽祖父が大正6年につくったものです。昔は置物の原型をつくるのも“窯屋のオヤジ”の仕事だったんですよ。この造形力は、僕にはとても真似できませんが。
秋元:立体の造形は非常に難しいですよね。ちなみに、九谷の産地ではいつから「型物」がつくり出されたのでしょうか?
宮本:産業として専門に置物を作り出すようになったのは明治に入ってからだといわれています。それ以前にも、加賀八幡の鬼瓦職人たちが余技としてつくってはいたようです。
秋元:そうか、若杉窯の周辺は瓦造りが盛んだったんですよね。現在の九谷焼の置物素地はほとんどこの加賀八幡町で型が作られているんですよね?
宮本:はい、現在置物を作っているのは7軒ほどですね。ただ、もう10年もすれば3軒くらいにまで減る可能性はありますが。

九谷の彫刻的な造形を叶える「手起こし」
宮本:早速ですが、工房の方からご案内しましょうか。秋元さんは置物の「型取り」の工程を見られたことはあります?
秋元:いや、初めてです。よろしくお願いします。
宮本:まず、型取りは大きく分けて「手起こし」と「鋳込み」の2種類のやり方があります。「手起こし」は、パーツごとに石膏型をつくって、型に手で粘土を貼り付けていって最後に合わせてひとつの型にするという、昔ながらの製法です。 ご覧ください、かつては招き猫一つ作るのにも、これだけの数の型を使っていたんですよ。
秋元:すごいな!こんなに細かくパーツごとに型が分かれているんですか?

宮本:はい、今はもう少し簡略化されていますが、昔はかなり細かく分かれていたので、型をつくる方も、粘土でそれを起こす窯元も大変だったと思います。型屋さんは今県内に一軒しか残っていないので、県外にお願いしたりしています。
秋元:ああ、もう県外に。
宮本:今ご紹介した「手起こし」に対して「鋳込み」は鋳込み用の石膏型にトロトロの泥漿(※でいしょう)を流し込んでつくるやり方です。
※泥漿…液体中に鉱物や泥が混ざった混合物。ここでは粘土を液状に溶かした状態のもの。
秋元:九谷産地ではどちらの製法が先なんでしょうか?
宮本:手起こしですね。九谷焼の置物は長いこと「手起こし」一本やっていました。祖父が戦争に行ったときに瀬戸出身の人と話をしていて「九谷のやり方は30年遅れとる」と言われたらしいです(笑)。
それが昭和40年頃になって円安で海外輸出も盛んになりモノが売れる時代になって。すると手起こしでは割に合わないからと、その頃から鋳込みに変わっていきました。
秋元:“割に合わない”というのは?
宮本:手起こしだと、ひとつの原型をつくるにしても、先ほどのようにパーツに対して細かく型をつくらなくてはなりません。ひとつのパーツに数万円かかるとなったときに、どうしても出来上がる製品の値段も上がってしまう。それに、手起こしは時間がかかるので、量産にも向いていません。


秋元:手起こしと鋳込みでは、出来上がりにそんなに差がないんでしょうか?
宮本:いや、やっぱり違いますね。型起こしの方が複雑な形状が可能なので。出来上がった作品にも“立体感”がある。でも、世の中的にディテールよりも「なんとなく形がわかればそれで良い」という流れになって、置物の形状も鋳込み向きにどんどん簡略化されていきます。そして今日よく目にするような、つるんとした招き猫のような形にまで行き着くわけです。
秋元:なるほどなぁ。確かに、今目の前にある昔の型でつくられた招き猫には、生き物みたいな存在感がありますもんね。ちなみにこれはおいくらですか?

宮本:このくらいです。(値札を見せながら)
秋元:こんなに大きいもので?素地って意外と安いんだなぁ。
宮本:これでも少し値上げしたくらいです。もともと素地屋って値段が安いので。
秋元:今は「手起こし」と「鋳込み」の制作比率ってどれくらいなんでしょう?
宮本:1対99くらいですかね。うちも、再び手起しを始めたのはここ数年のことなんです。
秋元:ああ、そんなに違うんですか。

量産に向いている「鋳込み」
宮本:では実際に工房で作業工程をお見せしますね。まずは「鋳込み」から。こうやって型を合わせ、ゴムで縛って固定します。そこに泥漿を流し込みます。
秋元:確かに、先ほどの手起こしの型と比べると随分とシンプルですね。二つの型を合わせるだけという。
宮本:そうですね。ここに泥漿を流し込んでいきます。充填できたら30分くらい置きます。そして固まっていない粘土を流して型を開ければ、中に粘土の皮膜のような肉厚だけが残って、品物がでてくると。


秋元:鋳込み用の粘土ってこんなにも液状なんですね。ちなみに、鋳込みでは作れないものというのはあるのでしょうか?
宮本:先ほどお話ししたような“ディテールの細かいもの”は鋳込みには向きません。あとは大型の置物ですね。鋳込み型に泥漿を入れて、それを一度倒して中の余分な粘土を流す過程があるので、大型のものを倒すのは体にすごく負担がかかるんです。瀬戸などの量産地に行くと機械化されているらしいのですが、ここでは少量・中量生産なので手作業でやることになります。
身体化されたシームレスな職人仕事
宮本:次に手起こしの工程をお見せします。今回は獅子の型にしましょうか。獅子は九谷焼の置物としては代表的なモチーフのひとつです。前田家の守り神でもあったようですし。まずは胴体の型に粘土を貼り付けていきます。


宮本:この粘土は前回秋元さんも取材に行かれている「谷口製土所」さんのものです。
秋元:そうでしたか。ちなみにどのタイプの粘土を使用されているんですか?
宮本:スタンパーでつくられた粘土ですね。スタンパーの方が、粒子が細かくて可塑性が高いので、伸びが良いのです。手起こしにはこちらの粘土が向きます。
秋元:粘土は結構薄く貼り付けていくもんなんですね。均一にするのも大変そうだなぁ。
宮本:そうですね、薄い方が物も軽くなるので。触ってみられますか?型と粘土の、ある程度の肉厚感というか、薄いところと厚いところの差みたいなのが分かると思うんですけど。

秋元:(粘土を触りながら)え…?全然分からない。指先の感覚なんて、普通に生きてたらそんなに鋭敏なものじゃないですよ。職人さんはもはや手先がセンサー化してるんですね。これは全て均一な厚さにできると合格なんでしょうか。
宮本:いえ、窯で焼くと収縮しますし、その時に力のかかる部分は粘度を少し厚くしたりと、様々な立体の要素を配慮しながら微妙な調整が必要です。
秋元:なるほど、確かにそれは機械では難しいですよね。それにしても、作業の早いこと。トントンと進んでいっちゃいますね。もう一連の動きが身体化しちゃっているから、分節して説明してくださいってお願いする方がきっと難しいんでしょうね。

プロセスを共有して、価値を伝える
秋元:こういう素地づくりの作業って、“作り方読本”みたいな感じで、産地で体系化されていたりするのでしょうか?
宮本:いや、九谷ではないと思いますね。もしかしたら、量産化してる産地にはあるのかもしれないですが。ひたすら「作っては失敗して」を繰り返して、やっと自分の中でノウハウができてくるというアナログな作業なので。AIの時代とは逆行してますよね。
秋元:渋いなぁ。


宮本:はい、ひとまず胴体部分の完成です。
秋元:こういった素地って、どこかに窯元の印など入ったりするのでしょうか?
宮本:基本的には上絵つけをされた作家さんの名前で世に出て行くので、窯元の名が表に出ることはないですね。最近では「九谷」ってハンコを押してみたりはしているのですが、その程度ですね。
秋元:少なくとも仕事の痕跡というか、そういうのは分かるようになっていてもいいんじゃないかとは思いますけどね。例えば映画なら、主役だけじゃなく裏方までしっかりエンドロールでは名前が出るわけで。もちろん、九谷焼においては最後の絵付けをしている人が主役みたいなところがあるでしょうし、その人の名で作品が出るのは良いとしても、ここまで仕事しておいて裏方の名前が全く出ないって、今の時代かえって不自然なような気がします。

宮本:作家さんって、こう華やかな世界でしょう。でもこの裏で、影になって支えている人らが必ずおるんです。いきなり完成品があるんじゃなくて、こういう下仕事があって完成品があるということを知ってもらえた方が、ものの価値を分かってもらえるとは僕も思います。
秋元:そうですね。今はやっぱり出来上がったモノの見栄えだけで良し悪しを言うよりも、プロセスを共有して理解していくということが大切なのでしょうね。
変な話、形だけ模倣するなら今の時代3Dプリンターでもできてしまうわけですから。
時を超えて一緒に制作している感覚
宮本:うちの窯に伝わる昔からの型がまだまだ2階の物置に眠っているので、そちらもご案内しますね。
秋元:うわぁ、すごい数だな。どのくらいあるんでしょうか?


宮本:小さいものから大きいものまで数えると530点くらいです。食器類となると別ですが、置物の型に限って言えば、日本で一番数があるのではないでしょうか。
秋元:これはもう財産ですね。
宮本:そう思っています。自分がここを継ぐとなったときに「2階の型はうちの宝やし」と言われていました。でも活用されずにそのままになっていたので、今年ショールームを改装して、昔の型でつくった作品を並べることにしたんです。

宮本:「組み立て図」のようなものが一緒に残っているわけではないので、昔の型を起こすとき、最初はものすごく時間がかかるんです。
それでも「これは絶対いいもんや」って確信するものに出会うと、作っていてもゾクゾクします。時を超えて一緒に制作している感覚というか。こんな経験ができることってなかなかないので、作り手冥利につきるなと感じますね。
秋元:そうですよね。苦労して型を整理してないと、味わえなかった喜びだ。
宮本:実を言うと、この型も処分されるところだったんです。四代目が亡くなった時に「跡継ぎがいないから窯も閉じるしかない」という話になって。僕は外孫にあたるのですが、休日に片付けを手伝いにいっていて。子どもの頃から、どこかに「消えゆくものを繋いでいく」ということに興味があったので、自分から「窯の仕事をやらせてほしい」と申し出ました。
秋元:じゃあここに入って、一から勉強を?
宮本:そうです。当初は「でもアンタ、粘土に触ったことすらないやろ」と親には言われましたが(笑)。僕が入ったときは各工程に一人ずつパートさんがいたので、その方達に色々と教えてもらって。
秋元:今では立派な“窯屋のオヤジ”ですね。
宮本:どうでしょう。昔火事でダメになってしまった型も結構あると聞いています。今だったら3Dデータのような形でデジタルにアーカイブすることも可能でしょうし。僕が関わることで、ここに残っているものを何らかの形で次の世代に繋いでいけたらと思っています。
(取材:2020年8月)
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【PROFILE】秋元雄史/東京藝術大学名誉教授、金沢21世紀美術館特任館長、国立台南芸術大学栄誉教授、美術評論家。「KUTANism」総合監修。「GO FOR KOGEI」総合監修。
取材:秋元雄史
執筆:柳田和佳奈
撮影:totem
企画・編集:ノエチカ