TALK SESSION REPORT

「表現する九谷」レポート

それぞれの“KUTANism”。
九谷焼の定義とは?今後はどうなる?
トークセッションで考えた約120分間、
その記録。

去る9月16日に、「九谷の現在(いま)」を探る一環として、トークセッション「表現する九谷」が開催されました。

第一部は「現代陶芸のはじまりに:走泥社と陶片」。テーマにある「走泥社」とは、1948年に京都で起きた現代陶芸のムーブメント。既存の陶芸と異なる斬新な作品群は、当時一体どのように生まれたのか?そしてその動きから、九谷焼が学ぶべきこととは?森美術館で開催された「MAMリサーチ007:走泥社—現代陶芸のはじまりに」の企画者の一人で、美術作家でもある中村裕太氏にお話を伺いました。

第二部は、中村氏と出展作家数名が、秋元雄史氏(東京藝術大学大学美術館館長・教授)モデレートのもと、これからの九谷焼についてのトークセッションを開催しました。

当日のダイジェストをお届けします。

Session Report img

第一部/「現代陶芸のはじまりに:走泥社と陶片」

秋元「森美術館(東京)で行われている展覧会、『MAMリサーチ007:走泥社—現代陶芸のはじまりに』を拝見しまして、今の九谷に活かせるヒントがあるように感じ、展覧会のキュレーションをされた中村さんをお呼びしました」

Session Report img

秋元雄史氏。会場にはおよそ50名が来場し、真剣に聞き入った

中村「 “走泥社”とは、1948年に京都で起きた前衛陶芸の団体名です。それまでは陶器の生産が主流だった京都の陶磁器産業の流れの中で、個人の作家としてオブジェ作りを行なった最初期の団体と言えます。作家としては、八木一夫、鈴木治、山田光などが中心です。

Session Report img

中村裕太氏。美術家、京都精華大学芸術学部特任講師。

走泥社については、世界的によく知られてはいるものの、実は包括的な展覧会がこれまであまり開催されていませんでした。今回の森美術館での展示では、“現代美術の文脈で、走泥社がどう紹介できるか”を考えながら、德山拓一さん(森美術館アソシエイト・キュレーター)と企画を立てました。本日は、その展覧会をもとに、京都と九谷とのつながりを考えていきたいと思います。 まずは、走泥社が誕生する要因になった京都の焼き物の歴史についてご紹介します。京都には優れた陶芸家が数多くいますが、その中でも注目したいのが沼田一雅の活動です。沼田は、日本でいち早く、戦前にフランスのセーヴルで学んだ“陶彫”の技術を広めました。沼田の研究所には、のちの走泥社の中心メンバーとなる八木一夫が出入りしていました。そうした陶彫に見られる造形も走泥社が誕生するきっかけになったと言えるかもしれません。さらに彫刻とのつながりで言えば、京都に何度か訪れていたイサム・ノグチや辻晉堂の作品も走泥社の作家たちに大きな影響を与えていました。 次に京都の陶磁器産業は、登り窯を中心とした共同体のなかで作られていたことも興味深い点です。産業として、陶器だけでなく、タイルや化学陶器なども多く作られ、これらが登り窯で一緒に焼かれていたのです。

Session Report img

京都の登り窯の様子
〈高山耕山化学陶器登り窯〉出典:京都府立総合資料館

さらに注目したいのが、同時期に京都で起きていた「四耕会(しこうかい)」という団体です。戦後には、前衛的な華道が台頭し、華道家に前衛的な花器を制作することを依頼されたことがオブジェ作りに繋がっています。つまり、他のジャンルとの関係の中で、造形の可能性を見出していきました。 このように戦前からすでに、京都には陶彫をはじめ多様な焼き物の表現がありました。そうした土壌の中で戦後に結成された走泥社は、“壺を変形させる”などの造形的な特徴が生まれてきます。そして、1950年代に入ると、パイプをつなぎ合わせた八木一夫の《ザムザ氏の散歩》などのいわゆる“オブジェ焼き”が誕生しました。

Session Report img

展示風景:「MAMリサーチ007:走泥社―現代陶芸のはじまりに」森美術館(東京)2019年
撮影:木奥惠三
画像提供:森美術館、東京

ここで、走泥社の活動を考える上で重要なテキストとして鈴木治の言葉を紹介します。

当時は新手というようなものを考え出そうとしまして、仲間の八木一夫さんだとか山田光さんなんかと一緒になりまして、例えて言いますと、つまり朝鮮の壺がありますね。その壺の首を取ってしまって、こっちにギリシャの陶器があると、それとくっつけて、ギリセンと言うてみたりね(笑声)。それから仁清がありますね。それからこっちに乾山がありますね。それをチャンポンして乾清と言うてみたり。つまり今までの技術の伝承から派生したいろんなものがありますね。それ以外に、何かそういう新しい技術というものが見つけられないかという、そういうことにだいぶエネルギーを使ったんやないかと思いますね。
参考文献:藤平伸・鈴木治・林屋晴三「鼎談 伝統と創造」、『現代の陶芸-伝統と創造-』 茶道総合資料館、1986年

このような手つきによって”新しい技術“を開発していったことが、現代陶芸の始まりにあったと言えます。つまり、走泥社の作家たちは、パーツとパーツを組み合わせていく制作方法をもとにそれぞれの造形を開発していきました。

Session Report img

「MAMリサーチ007:走泥社—現代陶芸のはじまりに」展の展示風景
撮影:木奥惠三
画像提供:森美術館、東京

ちなみに京都と九谷の関係は古く、既に江戸末期には永楽和全や青木木米などの京都の陶工が九谷へ陶芸指導に来ていたことも知られています。京都と九谷は、焼き物の産地であること、個人の作家も多いこと。そういった点も京都と九谷では共通する部分があり、今後参考にできるヒントがあるかもしれません」

秋元「これからの九谷を考える時に、歴史的に見ていくことも面白いし、走泥社の動きからも何かヒントを得られることがあれば。実は走泥社が生まれた時代には、陶芸だけでなく、書や華道、絵画も前衛運動を行なっていました。新しい技術が生まれる時というのは、人間自体の根源的な部分を見直さなければならない時でもあると思います。当時で言うと戦争ですが、止むに止まれぬ事があり、表現が変わっていったということも影響しているのかもしれません」

第二部/「トークセッション」

Session Report img

第二部は、出展作家を交えてのトークセッション。テーマを数点ピックアップしお伝えします。

九谷焼に今必要なのは、共同窯!?

中田「学生時代の先生が走泥社の方だったこともあり、かねてより走泥社が好きです。先ほどのお話を伺って、共同窯はいいなと思いました。九谷では自立支援工房が貸し窯をしているので、それにあたるのかもしれませんが」

Session Report img Session Report img

陶芸作家・中田博士さん

中村「京都の共同窯には、ある種のヒエラルキーがありました。登り窯の下の方の二の間、三の間あたりは温度の高く、いわゆる焼き物を焚くのに“良い部屋”でした。そうした部屋には、いわゆる大御所の人しか入れられず、走泥社の若者達は、上の方の室温があまり上がらない部屋にしか作品を入れられなかった。でもそうした制限があったからこそ造形への工夫が生まれました。そして何より、他の作家の技術を見ることができたことが何よりの学びだったと考えられます。ところが、昭和30年代になると、公害問題で共同の窯は焚けなくなり、それぞれの工房の電気窯などで焼かれることで、そうした共同体は徐々に衰退していきました」

今西「交流や情報交換の必要性はよく感じます。今の作家って、制作以上にとにかくやることがたくさんある!SNSへのアップ、写真の撮影もそうだし、セルフプロデュースの力が問われます。そういう事をどうしているかとか、あとは例えばギャラリーとの付き合い方、御礼状の書き方など、細かいことだけれども作家活動をする上での基礎知識、先輩方が経験上知っていることなどを共有できたら、九谷自体のベースアップにも繋がるように思います」

Session Report img Session Report img

陶芸作家・今西泰赳さん

秋元「シェアハウス、シェアオフィスはじめ、今はビジネスにおいてもシェア文化の時代。それは焼き物にでも応用できそうだよね。共同窯というハード面だけではなく、何か共有できる場などの機会を考えても良い時に来ているのかも」

九谷焼と加飾

秋元「作品を拝見すると、すごく感覚的に作品を作られている方が多いように感じます」

水元「私は元々は加賀友禅の職人をしていました。でも自分を抑えて制作するということに対してタガが外れたことがあって(笑)。それで今は、用の美を超えたところや、加飾の面白さで遊んでみようかな、という感覚で制作しています。ある意味九谷焼を外から眺めながら制作している感じ」

Session Report img Session Report img

陶芸作家・水元かよこさん

牟田「人間と自然との関わりをテーマに作品を作ることが多いです。例えば今回の展示作品は壺なのですが、これは魔除けの壺。今の時代、スマホを眺めているだけで勝手に怖い情報がたくさん流れてくる。そこから身を守る物としての壺を作りたくて。それで壺の口に塩を盛りました」

Session Report img Session Report img

陶芸作家・牟田陽日さん

吉田「九谷には人が集まってくる吸引力があるように思う。そしてここにいると、なぜか“加飾してしまう”んですよね。のめり込んでしまう。周りの作家にもつられるし、それで何度も焼くし、時間もかけるし。それが結果加飾に結びついている、という感じがしている」

Session Report img

陶芸作家・吉田幸央さん

「オブジェか器か」論

上出「僕は焼き物屋の6代目なので、産業としての九谷焼に携わってきました。そのため走泥社などいわゆるオブジェとは距離を感じざるを得なかった。今回の展示作品も、普段から産業としての九谷を考えていることから、皆さんと異なり絵付けではなく誰もができる技法として“吹き墨”という手法をとっています」

Session Report img Session Report img

陶芸作家・上出惠悟さん

中村「オブジェと呼ばれることについての違和感はよく分かります。今日の大学教育でも器かオブジェか?という選択を迫られます」

秋元「“伝統か現代か”、“器かオブジェか”論は、未だに?って感じだよね。ある種の行き詰まりというか、仕組み自体の老朽化が起きているように感じます。“前衛ですか伝統ですか?”、“守りますか壊しますか?”、ではなくて、もう少し境目が緩やかでもいいのでは。そういった派閥でなく、やりとりがしやすい場所に、今後の九谷がなっていけたらいいのでは。 僕が今回この展示を“カラフル・オーナメント・オブジェ・クタニ”と名付けたのは、何もオブジェを制作してと言っているわけではなくて、産地での展覧会となると、様々な関係性などもある。でもそのような、立場ごとに起きる出来事に足を取られたくなかった。地元で行う芸術祭という難しさを引きずらないため、また、絵が多いという九谷焼の性質から、装飾的なのでオブジェ、という展覧会名にしました」

九谷のイズム

藤崎「私は生地師として、絵付け師さんに素地を卸す仕事をしています。絵付けの作品は自分が作りたい物ではないし、作家として前面に出ていくことも違うと感じている。ただし、生活する場所としての九谷は愛している。なので土地の物を使いたい。九谷の土を使いますし、ここに無い物でもこの土地のお店を通して購入するようにしています。 また、九谷焼の魅力や面白さは、多様性にあると感じます。でも多様性が認められている中で、例えば珠洲焼が九谷焼に定義されないのはなんでなんだろう?とも思います」

Session Report img

陶芸作家・藤崎千尋さん

朴木「作品を作ると、テーマは何ですか?なぜこれを作ったの?とよく聞かれるが、その説明、言語化の難しさを感じることがある」

Session Report img Session Report img

陶芸作家・朴木友美さん

秋元「どれも言葉、というだけのことなので、実のところ、どうにでも定義できてはしまうもの。作家の人達もイノセントに“作っていればいつか分かってもらえる”と思わずに、自分がどういった部分に所属しているかは意識した方が良いと思います。また、全国的に、“産地としての工芸”の定義が曖昧になってきている。伝統技法は段々と、“昔はあったけどね”、みたいな感じになるかもしれないね。昭和の時代は地場産業としてくくりやすかったが、これからはどうなるか分からない。工芸を素朴に成り立たせるのも、定義するのも難しい時代になっています」

中村「今の時代、“ism”といわれるような主義を宣言しなくても、自分がどこのフィールドにいるか、それぞれの立ち位置をどう作っていくかは大切だと思います」

秋元「今は何もかもがとにかく早い。ネットも物流も早くて、圧倒的なグローバリゼーションの中に僕達はいる。でもだからこそ、普遍的なものも求めていたりして。それで、自分の筋、ローカリティーを探してもいる。だから地味だけど発信していくということもとても大切。それをいかに我慢強くやっていけるか。 ちなみにもともと九谷焼は、“時代に合わせて売れる物を作っていたらこうなっていた”という性質の焼き物。でも今後は、“なんとなくこの土地を知っている”、ではなくアーティスト自体が咀嚼して九谷を考える、という土壌を作っていくべきでは。それにはそれこそ共同窯的な、循環していく仕組みを考えていけたら良いのではと思います」

Session Report img